NHK『映画監督・押井守のメッセージ〜新作密着ドキュメント〜』押井発言抜きだし

スカイ・クロラNHK特番。押井の発言だけ抜き出しました。

(ジャパンプレミア試写会舞台挨拶)
 「どこか遠いところにですね、この映画の中に描かれた世界とよく似た日本という国があってですね、そこにやっぱり年をとらない子供達がいます。これは多分、ここにいる皆さん、あるいは僕自身のための映画です。どうぞゆっくりご覧になってください。」


(ナレーション:押井監督はキルドレという存在に今を生きる若者達の姿を重ね合わせたのです)
 「基本的には、今の時代を生きている若い人たちの気分て言うんですかね、何かある種の生きている実感を求めたいんだけれども、それが容易に見つからないって言うかね。自分が死ぬという実感も持ちにくい。そういう宙ぶらりんなところで、生きてるんだか死んでるんだかよく分からない。要するに情熱のありどころを求めている。
 多分、自分が何者かになりたいんだけれども、何者かというもののイメージがどうしても持てない。大人になって何かいいことあっただろうか?じゃあ、大人って何だって話しになるでしょうね。今度は翻って。だから、子供って何だっていうことを問うっていうことはね、必ずその逆の問いを突き返される。『じゃあ大人って何だっ』ていう。それに答えられる大人が何人いるんだろうか?」


(ナレーション:一見無駄な手間のように見える作画のこだわり。押井監督の狙いとは一体何だったのでしょうか?)
 「人間というのは絶えず動いているんです。絶えず動いている無意識の動きをどうやって作画するか。たぶん誰もやってないと思います。それは、現場的にはもしかしたら徒労に終わる可能性もある。
 大体アニメでやってるそういうような技術的に追い込んでいく作業っていうのは、9割9分というか9割ぐらいまではね、お客さんにあんまり分からないものなんですよ。ただ、それをやっているかやっていないかで見終わったときの印象が一つ変わることは間違いない。」


(ナレーション:無意識の動きの中にこそ、人間の秘められた感情が表れる。アニメーションの常識を覆す試みでした)
 「今回の場合は、具体的に人がどう生きるのか、あるいは何故生きなきゃいけないのかとかね、割とこう、もっと切実な話しなわけですよね。キャラクターに感情移入してもらう必要がどうしてもある。登場人物が架空の世界の架空の人間じゃなくて、あそこに自分がいるっていうの。そのためにはやはりねドラマっていうのが必要なんですよ。」


(ナレーション:押井監督はキルドレ達の世界の手触りや、質感まで描き出すことで彼らの心情を表現しようとしたのです)
 「何の価値も見いだせないような日常生活の中でも、窓を開ければ風が入ってくる。そういう小さな感情のざわめきっていうか、揺らぎっていうか、そういうことを積み重ねていく以外に彼らが生きている世界の現実っていうかね、時間っていうのはやっぱり描けない。
 演出家的にはすごくしんどい。しんどいんだけれど、それをやらないと一番最初に言った今を生きている若い人たちの基本的な感情っていうかね、情緒っていうかね、それに行き当たらないんですよ。」


(ナレーション:押井監督は空中戦を華麗に描くことで、キルドレ達の生の充実、高揚感を描こうとしたのです。)
 「あの子達っていうのはさ、飛行機に乗って空を飛んでいるときだけ、雲の上にいるときだけね、本来の自分になるんであってさ、人間として生き始めるんであって。要するに、まぁ、生の充実を意識できるんですよ。僕が映画館にいたときだけ生きてる気がしたってのと同じなんじゃない?日常に耐えないっていうさ。
 日常っていうのは重たくて湿っぽくて息苦しくて生暖かくて、真綿で首を絞められるようにつらいんですよ。それはいつの時代でもたぶんね、若い人っていうのは日常に耐えないんですよ。この日常が一生続くと思うだけで頭がおかしくなるんですよ。」


(ナレーション:押井監督がこのスタジオを選んだ理由は膨大な音素材のストック。そして、銃声や飛行機のエンジン音など、本物の音をたやすく録音できる環境にありました。)
 「アニメーションの場合は、その場の空気っていうかその場の雰囲気っていうものは音でしか作れないから。どういう色をつかっているのかとかね、どういう壁の色だとかあるけれども、基本的には音で作るんですよ。緊張した場なのか、リラックスしてるのか、よそよそしい場所なのか、親しみのある場所なのか。それは足音だったり、ドアの音だったり。
 スカイ・ウォーカーの良さっていうのは音の作業に従事する人間も多いわけだから、自分がそれぞれ担当するね、foot stepっていう足音やってる人は足音だけ、例えばambienceっていう環境音をやっている人は環境音だけとかね。それぞれ持ち分が違うわけさ。だから凄い量が付くわけだよトータルで。その中で選択して、どれを聞かせないか、どれを立てようかっていう判断がしやすいわけですよ。」


(サウンドデザイナー:音のスタイルについて聞きたいんだが、どれだけリアルにナチュラルに(*訳文NHKママ)すればいいのかな?)
 「今回の絵で描いたキャラクターは、とても細かい芝居をしている。無意識の仕草、本人が意識していない仕草を、何とか『動き』にしようと思ってる。だからもの凄く繊細なお芝居を作らせている。だから、ちょっとした木とかきしむ音とか、そういう細かな生音(フォーリー)をとても大事に今回はしたい。」


(最初の試写会場である横国大において学生に向けて)
 「今回こういう映画を作った動機っていうのは実は一つしかない。僕が55歳を過ぎて、この映画を作り始めたのが55だったから、今は57になるけれどね、55過ぎてようやくね自分の人生の正体が少し分かったんですよ。人生っていうのは基本的に小学生にとっても親父にとってもね、いつも言ってるんだけどさ、基本的につらいものなんだよ。つらくて当たり前なんだよ。
 今のあなた方の年齢っていうのはおそらく、これから長い長いマラソンのスタートを切ったところであってさ。そういう長い長い目で見てマラソンみたいなものをスタートするとして、実は僕はそのマラソンの一周を終えてしまった人間なんだよ。あるときにそう思った。『自分はマラソンの一周目はもう終わったんだ』ってさ。二周目に入った人間として、いってみれば先を走っている人間に対してものを言いたいだけなんだよ。『つらいだろう』ってさ。『俺もつらかったんだよ』って。『だけどね、結構悪いもんじゃないぜ』ってさ。『ゴールに入ると中々良いものが見えるぜ』ってさ。
 僕はね55を過ぎてそう思うようになったの。」