キネマ旬報8月上旬号 押井守インタビュー「僕らは作る映画でしかその情熱を満たせないから、今までのものとは違うものを作りたかった」

いつしか棺桶に片足を突っ込んでしまっていた

押井守監督の最新作「スカイ・クロラ The Sky crawlers」を面白く観た。興味深かったのは、「GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊」(95)「イノセンス」(04)と、90年代半ばより押井作品の体温がどんどん低くなってきている印象があったのだが、今回はその体温が少し上がってきているように思えたことだ。
「その通りだと思いますよ。僕が映画をやってて一番楽しかったのは『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』(84)の頃で、ようやく映画の作り方が分かったという喜びがあったし、『機動警察パトレイバー2 the Movie』(93)では達成感があった。あれは映画の持つある種の社会性というか、それすらも手に入れようとして走り回って作った映画で、つまりアニメーションも走って作れるんだと。ただ、『攻殻機動隊』の前後からかな。情熱はもちろんあるんだけど、何か陰に籠もってきた。『イノセンス』のときは冷え切ったというか、興味も人形に向かっていった。逆にそこで体というテーマを見出した部分はあるんだけど、それは冷たくなっていく体。多分、体の調子が悪かったからじゃないかな?実際問題、悪かったからね。今はまた元気になって、だから『スカイ・クロラ』をやったのか、これをやったことで元気になったのか、それはわからないし、両方かもしれないし、とにかくそういうものを目指したのは確かです」
90年代後半から、いつしか棺桶に片足を突っ込みながら仕事している気分だったという。
「『イノセンス』なんて、片足どころか体半分突っ込んでたくらいで、またそれを目指してたんだけどね。冥界のような映画。誰も実感として生きてない世界。今思えば、何であんなむちゃくちゃな話を作ったんだろうとも思うけど、当時はその世界を作り出すと言うことに関して、すごい情熱を燃やしてるんですよ。でも疲れ切った。もうああいうものをやりたいと思わなくなった。というか、あれはあれでいいんだと。どんな監督でも棺桶に片足突っ込んだ映画、別の言葉に置き換えると死生観をめぐる映画を必ずやるみたいなんだよ。鈴木清順の『ツィゴイネルワイゼン』(80)とか北野武の『ソナチネ』(93)もあの世映画だよね。宮さん(宮崎駿)もやった。『千と千尋の神隠し』(01)って、あの世へ行って帰ってくる話しだよ。そしてあの映画で宮さんは復活した。色気が再びめぐってきた。僕も『イノセンス』で1回あの世へ行って帰ってきて、少し色気が欲しくなったんだよ。僕らは作る映画でしかその情熱を満たせないわけだ。だから今までのものとは違うものを作りたかった」

自分が気持ちいいこと楽しいことしかやらない

イノセンス」の後、スーパーライブメーション「立喰師列伝」(06)、実写オムニバス「真・女立喰師列伝」(07)と、原点的作品も手がけている。そこでリフレッシュできたのかと思いきや?
「逆ですよ。『立喰師列伝』のときはもう最低でしたね。とにかく体の調子が悪くてしょっちゅう寝込んでたし、太ってぶよぶよだった。本来もっと楽しいものにするはずだったのが、結局どよーんとしたルサンチマンになっちゃった。多少ドタバタもやって、そこが面白いと言ってもらえたけど、それは苦し紛れでね。ただ以外にも、そこが評判よかったのならもっとやろうということで、『真・女立喰師列伝』をやったんです」
立喰師列伝」はヴェネツィア国際映画祭オリゾンティ部門にも正式出品されている。
「何で呼ばれたのか不思議だったけど、行ってみて分かったよ。全員同じ事を聞いてきた。『日本映画は何故戦後を描かなくなったのか?』って。つまり『立喰師列伝』は久々に日本映画が描いた戦後史なんだよね。なるほどなと思った。戦後史って日本映画が久しくやらなかったものであるのは確かで、映画を見る目ってもちろん海外と国内で違うし、国内でも住んでいる世界は一つじゃない。親父が生きている世界と若者が生きている世界とは全然別だし、時間も違う。だから、『スカイ・クロラ』はその双方に滑り込んでいける種類の映画でなければいけなかったけど、その努力は出来たというか、してみようという気になれた。逆に、あのどよーんとした時間には帰りたくなかった。体の調子も悪すぎた。男の更年期障害ってやつかな。それで空手始めてみたら、これが面白くて止められない。体もどんどん軽くなっていった」
これからはもう自分が気持ちいいこと、楽しいことしかやらないことに決めたとのこと。
「誰が何と言おうとね。後は死ぬだけなんだから。いったんあの世に行った映画を作った監督、みんなそう思ってるよ。宮さんだってそう。何もかも知ったこっちゃないというか、俺はアニメーターとしてアニメーターの映画を作るみたいな事を言っている。実際問題そういうことは難しい。アニメーション表現は次の段階に進んでいるんだよ。でもあの人は歴史に逆らおうが何だろうがやりたいことやるぞ、誰の言うことも聞かないぞって。それが『崖の上のポニョ』ですよ」
一方「スカイ・クロラ」は"キルドレ"という、永遠に子供として生き続ける者たちがショーとしての戦争に従事する。押井監督はそこに、今の若い世代へのメッセージを託したという。
「若い人のために作ったと言ってしまえばその通りだし、若い人にちょっと語りかけてもいいんじゃないかという気分になった。と同時に自分自身、情熱的なものを作ってみたかった。機械とかの冷たい情熱ではなく、もっと熱いやつ。キルドレって冷えてるじゃないかという意見もあるかもしれないけど、僕からすればこれでも熱い方でね。宮さんが子供のために作ったというのと、僕が若い人のために作ったというのは、全然違う。『崖の上のポニョ』を観てはっきり確信を持ちました。元々宮さんは自分がやっていることに全く気がついてない人で、いわば無意識の天才みたいな人ですから」

初めて若い人に優しい映画を作ったと思う

今回は正統派のドラマでしか作らない。そんな押井監督の決意の証が「スカイ・クロラ」だ。
「とはいえ映画だから、映像は見事でなければいけないし、音楽はフレキシブルなものでなければいけない。それはアクションがいっぱいあるとか、オーケストラで曲をいっぱい入れるということとは違うわけだ。もちろん『インディ・ジョーンズ』とかも好きだよ。ただ自分がやりたいこととは違うというだけで、僕はもうちょっと映画というのは何か違うことが出来ないだろうかと思ってる。僕は繰り返しで生きてきた。『パトレイバー』なんてDVD何種類あるんだよ?って。ただ、それをこまめに買ってくれるお客さんで僕は生計を立てているわけで、だからこそどこかで収支のバランスはとりたいと思っている。作るだけで自己完結してたんじゃバランスは取れない。これまではディテールに込めた情熱以上の何かを追求してきたし、わかりにくかったことは確かだよね。そういう意味で言うと、今回はそんなに特殊な訓練を必要としないで納得できるものを目指したけど面白かった。緊張もしましたけどね」
確かに今回は従来の押井作品に比べて一見分かりやすいストーリーだが、実は深く追求し、食い込んでいくことも大いに可能だ。
「表面上というか、見える範囲では分かるように作ったんですよ。で、あちこちに小さなドアをいっぱいつけてる。そこを開けるとちょっと違って見えますよ、くらいのことはしています。基本的にはさらっと観てもらって、伝えたいことを伝えたい。だから分かりやすいというよりも、優しい作り方。初めて若い人に優しい映画を作ったと、僕は思っている。丁寧ということでもね。とりあえずこれをやらないと収支が合わないと思ったし、やるチャンスは今しかないと思った。だから体の調子が良くなった」
また今回は長回しを多用し、キャラクターに細かい演技を要求している。台詞も少ない。
「ある種独特な言語を除いて、日常的な言葉以外は一切使わないでくれって注文をつけた。1シーンだけ長ったらしい台詞を言ってるけど、それもやりたくてやったというより、関係の中でやっただけであってね。だから、台詞自体を理解する必要は全然ない」
3DCGを駆使した大空の戦闘シーンも圧巻だ。戦争映画ファンからすれば、まさにこれぞ観たかった空中戦シーンと言えるだろう。
「願望は僕の中にありましたね。今まで映画の中で空中戦をちゃんと描いているものってほとんどないし、あっても自分が観たいものではなかった。やはりどこか違うような。そういうことをちゃんと作り出していくことも僕らの仕事の一つだし、そういうものが望まれてもいるだろうし、そこで評価もされるだろうけど、もちろんそれだけじゃ映画は作れないから、そういう願望というか欲求を自分の映画の中でどういう機能として背負わせるか。空中戦がこの映画の中でどのような役割になっているか?今回は雲の上での思いっきり圧縮した時間と、地上での思い切り引き延ばされた時間との緩急が必要だった。地上に降りると重くまったりと、せいぜいたばこ吸ってビール飲むしかないような長い待機の時間をどう演出するかという逆のテーマもあったし、一方で空中戦は息つく暇もないほどに時間を圧縮して見せる。だから凄い空中戦を作ってみたいというのはもちろん演出する側の願望だけど、違う角度の視点も必要になるわけだ。そういう風なことを言えば、今までの作品以上に監督という立場で引いて、全体のバランスを考えた。監督としての機能を果たそうと思えば思う尾ほど、現場から遠ざからなくてはいけない」

アニメーションを作り続けていくことに決めた

その意味で、アニメの現場は実写と全然違う。
「違いますね。やること自体が全く違うというか、アニメーションは実写みたいに目の前で実現してくれるわけじゃないし。同じ監督と言っても別の仕事といっていいくらい。だからこそ両方やりたくなるんだよね。この前、初めてテレビドラマ『ケータイ捜査官7』を演出したんだけど、ホント楽しかった。今後も実写定期的にやるでしょうね。ただ今までと違って、アニメを1本撮ったら次に実写をという風にはならない。かつてそうやろうとしたら意外にきつかったから、それはもう止め。これからは同時にやることに決めた。それって現場の人間にとってすごく不満なことかもしれないけど、どうせ今しかないんだから、そう思ったらやれる」
さて、今回の声の主演・加瀬亮は、今度は押井監督の実写作品にも出たいと語っている。
「そういう役者との出会いというのもあるよね。アニメで役者に出てもらうときもあれば、実写の現場で出会った人間に『アニメやってみない?』って言うこともあるし。僕は単に知名度とかで役者さんを使いたくないけど、竹中直人さんや根津甚八さんとかずっとつきあってきてる人もいるし、今回もマスターの役は最初から竹中さんを想定していた。たった三言しかなくて『これだけですか!?』って言われたけど(笑)。そういう意味で、役になるかならないかで今回もキャストを決めただけで、わけも分からず役者さんを使いたくはない。だったら声優さんの高い能力の方が多分面白くなる。確たる根拠がなければ、僕は声優さんを選ぶべきだと思う。ちゃんと訓練を積んできているんだから。整備士の笹倉なんて、榊原良子さん以外誰にも出来ないですよ。ただ、今回の若いキャラクターは今の若い声優さんたちには向かないと思った。声優さんの技術で違和感なくぴったりはまっちゃったら、今回は役にならない。微妙な違和感が欲しかったんですよ。つまり見事にハマってほしいわけじゃなく、微かにずれながら、でもその人以外に声をイメージできないと、観た人に言ってもらえたら、それは理想に近い。その意味でも今回、加瀬亮菊地凛子に出会ったというのは大きかったね」
最後に次回作、そして押井作品の今後だが?
「いろいろありますよ。だけど現実的には白紙状態。ただ、止めろといわれない限りはコンスタントにアニメーションを作り続けていくことに僕は決めたし、だからこそこの作品をやったんだよ。実写も止めないし、やりたいこと、気持ちいいことだけをやる。だから自分から持ちかけるのではなく、来るものを素直にやっていきたい。もちろん自分の企画もなくはないけど、そこにだけこだわる気は全くない。そもそも今回も持ち込まれた話だったし、こだわりすぎると仕事の幅だけでなく、結果的に人生まで狭めるよ。つまり、自分はそういうものはやらないということからも自由になりたい。実際『ケータイ捜査官7』でお会いした三池崇史さんはそれを実践してきている人で、『自分は別に何もないですよ』って言うけど、結果的にはいつも三池さんでしかない映画になってる。いろんなものから自由になるって、難しいよね。そのためにはいろんな根拠が必要で、その中には多分体ってものが必要になる。爽快な気分でいる。絶えず軽い体でいる。だから僕はもう腹を出してゴロゴロする気はない。そんなことをしてる場合じゃないですよ」

キネマ旬報 2008年 8/1号 [雑誌]

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